「ガゼボ」を読んで | レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 「愛について語るときに我々の語ること」収録作品
こんにちは、ブログの中の人3です。
今回は、以前ご紹介させていただいた
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹 訳
短編集「愛について語るときに我々の語ること」から
私のお気に入り作品「ガゼボ」をご紹介します。
→ ご紹介記事:「愛について語るときに我々の語ること」を読んで | レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳
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個人的感想でこの作品の感想を述べるならば
「絶望と希望は比べられるが混ざらない」ですかね…
はっきり言ってまったく明るくない話です。
舞台はアメリカの片田舎。
そこでモーテルを営む夫婦、ドゥエインとホリー。
物語は底なし沼に沈みゆく二人の描写からはじまります。
希望に満ちていたと思われた二人の生活に入る亀裂。
亀裂の発端をつくったのは妻のホリー。
そして亀裂をつくったのは夫のドゥエイン。
亀裂はどんどん大きくなり、夫の仕事ぶりを、妻を、
そして妻の希望すらも飲み込み、
二人は底なし沼に足を取られるように
少しずつ亀裂の底に沈もうとしていました。
この物語の中で妻・ホリーは終始、
これまでの自信に満ち溢れていたであろう自分自身への妬みを、
そしてそんな自分を「殺して」しまった夫・ドゥエインへの恨みを吐き出し続けます。
それがとても痛ましくて、かつとても共感できます。
どうしようもない状況に立たされたとき、
信じる者に裏切られたとき、
もう立てなくなったとき、
人がとる行動はまさにホリーのような行動なんだと思います。
物語のタイトル「ガゼボ」は、
明るく慎ましく一生を終えたであろう老夫婦の
家の裏にあるあずまやを指しています。
なんとなく、「ガゼボ=手の届かない希望」なのかなと思っています。
ドゥエインとホリーは「ガゼボ(希望)」にたどり着くことなく物語は終了します。
老夫婦とは対照的に、絶望という闇に引きずられていくドゥエインとホリーを
皮肉のようにあぶりだしたタイトルです。
(レイモンド・カーヴァーの作品はそういったものが多い印象があります)
たぶん物語はこの後も続いていくんでしょう。
でも、私たちが読めるのはここまで。
ほんとにある家庭のワンシーンを捉えたような生きた描写がすごい作品です。
そのほかの作品も素晴らしいものばかりです。
お時間ありましたら是非一度読んでみてください。
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