劉備という人
劉備という人
前回三国志について書いたので、今回も三国志について書いてみたいと思う。
日本での三国志の物語の中で、一番主役として扱われているのが劉備だろう。吉川英治三国志、まんがでは横山光輝の三国志の劉備が主役と言ってもいいと思う。これらは三国志演義の影響が大きいと思う。
なぜ劉備が主役の物語が人気があるのだろう。貧しい中、関羽・張飛とともに黄巾賊退治で名をはせ、乱世にライバルたちが倒れて行く中、かたくなに独立を保ち、苦労しながらも晩年、蜀を建国し、一応の成功を見たところに惹かれるのだろうか。
吉川英治の三国志から三国志を知ったぼくからすれば、劉備は人格者であり、君主の器をもつ鏡のような人物だと思っていた。儒教の理想とする君子的高潔さで描かれていたからである。
しかし、正史や北方謙三の小説によると張飛より手が早いような書かれ方をしていて面白い。劉備が持っていた実際の雰囲気は劉邦に近いものがあったのかもしれない。
ごく簡単に、劉備について書いたが、ぼくが一番注目するのは、劉備は最終的には「敗者」であること、それにも関わらず2000年近くのときを経て、好評価をする人々が多いということだ。歴史は勝者が作る。敗者は自身を主張することが許されず、勝者の作った歴史に沿って評価される運命にある。
しかし、劉備は明の時代に「三国志演義」によって再評価された。1000年以上の時を経てから再評価される人物は珍しいのではないだろうか。どのような背景から、劉備が再評価されたのかはわからないが、一つの事象として興味深い。時間があったらその側面からいろいろな本を読んでみたい。
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