日本史にふれる夜 その4
ブログの中の人2 第4回目の投稿
に続き
今夜も白洲次郎について書いていきます。
イギリスから帰国後、正子と結婚し
日本食糧工業の取締役となった次郎。
終戦後の内閣で外務大臣となる吉田茂と面識を持つようになります。
吉田茂がロンドンに駐英大使として赴任していた際に、次郎と交流を
深めることとなったのです。
余談ですが、
次郎の義父である樺山愛輔は牧野伸顕(大久保利通の次男)と親しく、
牧野の娘と結婚したのが吉田茂でした。
罵声を交わす喧嘩も多かったようです。
しかし、歳が離れていても本音でぶつかりあう2人の間には
信頼関係があったと言われています。
その後
第二次大戦に巻き込まれる次郎でしたが、敗戦を予測して会社を辞め、
町田市北部に疎開します。
そして終戦後
吉田茂は外務大臣、終戦連絡事務局の総裁を兼任し、
次郎を参与に委任しました。
彼が選ばれた理由は英語力に長けていただけではなく、
はっきり物を言える交渉力だと言われています。
つまり、イギリス留学で学んだ
「プリンシパル」を貫いていたのです。
そうして
交渉がすすむなかで
白洲次郎が「従順ならざる唯一の日本人」と
GHQから言われるきっかけとなる出来事が起こります。
続きは次回
白洲次郎とマッカーサーについて書いていきます。
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